タ在するためには、その性質と区別せらるる他の色が対立しなければならない。色が赤のみであるならば赤という色の表われ方がない。しかのみならずこの二者を統一する第三者がなければならない。なんとなれば全く相独立して互いになんらの関係のない二つの性質は比較し区別することはできないからである。ゆえに真に単純なる独立せる要素の実在ということは矛盾せる観念である。実在するものはみな対立と統一とを含める系統的存在である。その背後には必ず統一的或者が潜んでいる。
 しからばこの統一的或者は常にわれらの思惟の対象となることのできないものである。なんとなればそれがすでに思考されているときは他と対位している。しこうして統一はその奥に移って行くからである。かくて統一は無限に進んで止まるところを知らない。しこうして統一的或者は常にわれらの思惟の捕捉を逸している。われらの思惟を可能ならしめるけれども、思惟の対象とはならない。この統一的或者を神という。

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 一方より見れば神はニコラス・クザウヌスなどの言つた如くすべての否定である。これと言つて肯定すべきもの、即ち捕捉すべきものがあるならば已《すで
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