ごとき)「逆縁」の場合においてもなおその相手と少しも触れ合うことのできなかった「無縁」の場合よりは感謝したい気がする。著しくいわば、一人の女と全然無縁であるよりも、たといその女を辱しめることが動機となったとしてもなおかつ結縁したい気さえすることがある(むろんその反対すなわち一人の小さきものを傷つけるよりは、万人から隠遁したい気もするが)。自分はこういうことを想像することがある。自分が心ひそかに永く逢いたいと思っていた人が遠くの国へ行くということを聞き、もう一生逢えないかもしれないと思って、いろいろ躊躇していたのを思い切って逢いに行く。俥《くるま》で波止場へ馳けつけるとその人はいま出帆したところであった。なぜ今日にかぎって汽車が延着してその人に逢えなかったであろうかと歎き悲しむ。がそれはいつか前の世でその人がふと道連れになったときに、自分に雨に降られて合い傘をしてくれと頼んだときにそれを拒んだためであったというようなことを。こういうことはばかげた考え方とはけっしていえない気がする。現にこの世でもこれに類することはじつに多い。病院の廊下を歩いていてふと懐しい人の表札を見いだしたが、その時た
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