しかしながら実際の場合において人類のすべての個々の人に直接に奉仕することは不可能である。またたとい可能であっても、自分の力を文字どおりに平等に万人に頒《わか》つという意味での公平は賢きものではあるまい。たとえば百万円の金をもって人類に奉仕せんとするときに、それを全人類の一人一人に頒って、一人一銭にも満たざる金を頒つことが最も愛の道に適っているとは思えない。われわれは結局縁あって触れ合う少数の人々を人類の名によって愛することによって、かくのごとき意味での万人への奉仕をなさなくてはならない。キリストの十字架は人類の個々の人へそれぞれに血の贈り物であった。しかし実際にキリストが直接に触れ合ったのは、限られた少数の人々であったに違いない。しかしながら自分はでき得るかぎり多くの隣人と結縁《けちえん》したい。自分がもし千手観音のごとくに千手を有するならば、いかに多くの人々の個人個人に奉仕することができるであろう(自分はけっしてそれらの人々を観音のごとく摂取するためにではなく、ただそれらの人々と縁結びをするためにこれを願うのであるが)。自分としては念仏によって万人の幸福を願い、芸術によって万人に愛を
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