、私の内生命を動かし、私の霊のなかに座を占めたかぎりの親鸞である。したがってこの作に表われた私の思想もむろん純粋に浄土真宗のものではない。親鸞および浄土真宗の研究は、親鸞の実伝とその正依の経典とに拠らなければならない(むろんそれだけで親鸞の本質が掴めるとは思わないが)。第二にこの作には誰でも知っているようにきわめて多くの時代錯誤がある。しかしこれは私はあまり気にしていない。しかしむろんこれを誇ろうとは思っていない。もし少しの時代錯誤もなく、私の表わしたいと思う親鸞を表わし得たらこれにこしたことはないのである。かく多くのアナクロニズムのできたのは、私が故実に通じていないためばかりで無く、それに拘泥することによって私の表わそうとする親鸞が生き生きとして近代の心に触れてこないことを恐れるため、それよりもむしろそういうことを気にしていられないほどあれを書いたときの私の心持ちが切迫していたためである。第三にあの作は真宗のあるいは一般に宗教の教義を説明するために書いたのではない。あの作がいかばかりよく教義を解りやすく語っているかというようなことは、私の興味の中心では無いのである。私のあの作を書いた
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