が出遇うたときの幸いである。ただ私にとって最も気にかかることは「隠遁の根拠」のなかにも書いたごとく他人と交わることが他人を傷つけるかもしれない遠慮である。この遠慮から人と交わらずに淋しき処に隠退する人があるならば、これはたしかに同情すべき当然の心遣いである。聖フランシスが隠退しょうか伝道しょうかと迷ったのはあるいは他人の魂に入り込むことをおそれる謙遜なつつましさからであったかもしれない。けれども私はどうも各人が退隠することは望ましいこととは思われない。人間の心の底からの純な願いからではなく、悪に礙《さまた》げられてのやむをえぬ生活法だからである。人間には互いに働きかけたい心願がある。それがみたされないならば、人生はいかに寂寞たるものであろう。私は私の傍に愛しかける人がいなければ不幸を感ずる。ただひとりのときは犬でも飼いたい心になる。しかし他人をより善くする自信を持つことはとうていできない。しからばいかにして人と人とは従属すべきであろうか。
ここにおいて私はキリストのいわゆる「赦し」というもののいかに欠くべからざる徳であるかを思わずにはいられなくなる。人間は皆被造物としての欠点を持って
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