つかえはない。けれど超人はわれら人間とは別ものである。絶対的与者としての超人は、人間の境域を越えた他の世界にいるものである。私たちは何ゆえに愛されたい願いを棄てねばならぬだろう。愛されたいと願うてはなぜに小さいのであろうか。私はその意味で超人よりもオーソドックスの単純なキリスト教のいわゆる「神の子」とならんとする願いをはるかに望ましく思う。超人のなかには個人主義の強い要求があるけれど共存の要求が乏しい。その与うるの愛はむしろ自己の力を頼む心より起こる。人間と人間との従属を最後の目的とした愛ではない。キリスト教の「神の子」はあくまでも被造物として完成せるものである。その天国は神の前に神の子たちの愛することと、愛せられることの自由を得て睦び合う楽園である。その理想は共存ということから少しも離れない。私たちは被造物であってさしつかえないではないか。私たちはこの制限を忘れるときに赦しと共存との意識を失うて互いに孤立するようになるのである。人間には深い共存の願いがある。一つの神の手にて創られたる同胞の思想はこの願いに立脚したじつに巧みなる説明である。私たちはただ与うることの自由を得ただけで(それ
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