魂の扉を堅く鎖して孤立する。ある者はただ与えようとのみ努めて求めず訴えない。この二つは近代の優れた真面目な人々が傷つけられたために本心にそむきつつとるに至りし最も悲しき態度である。しかし孤独はけっして純な願いではない。また与えようとのみするのは傲慢である。なんらかの生活の条件を他から負わずに生きることはキリストでも[#「キリストでも」は底本では「キリスでも」]釈迦でもできはしなかったのである。この点から見れば求めずしてただ与えようとするよりも、太陽の光をも神の恵みと感じたフランシスの方がはるかに合理的である。われわれは被造物であることを忘れてはならない。光線や食物はどこから得るのであるか。私たちは絶対に与うるものとしての超人になろうとする意志を起こすならばそこには人間性の組織の上にある破壊が行なわれることを許さねばならぬ。人間として偉大なることと神の偉大なることとの間には、はっきりした区別がある。聖者はいかに偉大でも神ではない。聖者は被造物として最も偉大なるものであって、それは人間性の成就である。人間性の純なるものを破壊せずに完成したものである。それは人間としての制限を持っていてもさし
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