落第してまでは恋をせず、損をしてまでは芸術を作らず、十字架を負ってまでは伝道しないような人を発見する。
 一、植物と動物との絶対的区別は付せられない。ゆえに野菜を食べるのは牛を食べるのと同じことであるという人がある。夫婦間の肉交を許すならば、遊女との肉交も処女との肉交も許されていいという人がある。蚤《のみ》を殺す以上、鳥を殺してもいいという人がある。すべて性質の差別を程度の差別に帰してひっきょう同一であるというのである。しかし一羽の小鳥を殺すとき、純な生娘を犯すとき実感として悪を意識するのである。悪でないと説明されても深い、純な心は静まらないだろう。同じ論理を用いるにも、なぜ鳥を殺すのは悪いゆえに蚤を殺すのも悪いといわないか。処女を犯すのは悪いゆえに夫婦の肉交も悪いといわないか。百羽の鳥を殺すのは九十九羽の鳥を殺すより一羽だけ悪い。同じことではない。殺される鳥からいえば、そのただの一羽が絶体絶命である。百万人の人民を助けるためには、十人の人間を犠牲にしてもいいという法はない。かかる思想は道徳でなくして経済である。もし地上に天国が建てらるるならば、けっしてかかる方法で建てられてはならない
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