。(私はけっして思わせぶりでいっているのではない)。いま一人の娘を犯して舌鼓《したつづみ》を打っても、その快楽を償うてあまりある苦痛をいつか本当に受けなくてはならなかったらどうだろう。酷い酷い肉体的苦痛を報いられたらどうだろう。(注射を一本して貰うのでも、どれだけ嫌なものか肉体的苦痛に感じやすい今の文士は知り抜いてるはずである)。あるいは清い清い良心を与えられて、その女に赦しを乞うても、どうしても赦すといってくれなかったらどうだろう。いかなる形式かは知らないが、私は悪には必ず報いがあると信じている。私のかかる思想はある人々には児戯に類するであろう。しかし私はけっしてそうは思えなくなっている。かかる問題に触れるとき心はいちばん緊張する。真偽はいつか解るだろう。もし本当だったらなんとするとだけ今はいっておく。(いま私の心はセンチメンタルではない。理知的な心持ちでここを書く)
 一、言葉で突っ込まずに生活で突っ込むがいい。それも歓楽の方へでなく十字架を負う方面へ突っ込んで見せてくれ。何人がいざとなった場合、本当に思いきった態度に出で得るかは論争では解らない。私は論争好きな人に、かえって学校を
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