一、原稿は長く書いて、手紙は粗略に書く人はおそらく愛の深い人ではあるまい。それを気にしているのはいい。しかし当然と思ってはいけない。
 一、面会日を厳守するのは最上の方法ではあるまい。釈迦やキリストはきっとそういう生活法を嫌ったであろう。それを気にしつつ、やむをえず(今日の器量では)決めているのはいい。それを当然と思ってる人は、おそらく人と人との接触、天国の空想に鈍い人だろう。釈迦やキリストの域には上れない人だろう。
 一、私の尊敬している少数の人々も周囲に対するときは意地の悪い[#「意地の悪い」に傍点]文章を書く。みな心のやさしい人々なのに。そしてかかる文章を書くにいたる心理に同情しなくてはならないというのは不幸なことである。文壇はその門をくぐる人をイルネーチュアードにさせる空気を醸しているようにみえる。これはその内に入ればおのずと祈りたくなる寺院や、人と和らぎたくなる墓地やあわれみの起こる病院や、厳粛になる実験室や、素直な、温かい心地になる家庭やに比べるとき、祝すべきではないと思う。
 一、文士の告白好きなのが、魂の重々しさと、慎しみ深さの欠乏から生じていないことを希望する。
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