かなかった人のことはいわないから。実際文壇というものがあるために、いかほど軽い空気が醸《かも》し出されるかしれない。それがいかほど芸術を毒し、何よりも大切な、生活そのものを浮き足にさすかしれないのである。だから「浮き足」というものと全然相いれない愛の問題、その愛の要求する、十字架を負うべき実行生活になると、文士は貧弱と虚偽とを露出する。いかに立派な文章が書いてあっても、不幸な人、貧しい人、病める人、心の傷ついてる人――すなわち真に愛を求めている人が読めばすぐにその虚偽であることが解《わか》る。空言であることが解る。本当に愛してはくれないのだということが解る。私はそんな文章をいくら読まされたろう。実際文壇的空気にはずいぶん嫌なところがある。自分が不幸な不幸な気持ちにしおたれた[#「しおたれた」に傍点]ようになっているとき、そんな文章を読むと一種の立腹さえも感ずる。みんな道草をくってるような気がする。浮き足になってるような気がする。もっと大切な、われわれに真に必要な問題にハンブルに実践的に立ち向こうて、しみじみした、無駄のない、よく胸に応える論議が聞きたい。じつに今の文士の生活ほど古えの聖
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