れたる作品はおのずから[#「おのずから」に傍点]他の共存者の心へと道を求むるのである。その間に何の文壇というような意識の插し入る隙間があろう。しかしこの頃は文壇というものを予想しなくては存在し得ないような文章が多い。批評家にはことにそれが多い。日本でも真面目な部類の批評家ほどその書くものは文壇的でない。文壇に食いついてるような批評家ほど軽薄な文章を書く。悪いことには地方の青年などはまず文壇という空気に触れる。その後に初めて芸術そのものに触れる。だから文壇的なものを書く人の名はすぐに現われる。そしてここに文士というものがつくられるわけになる。そして芸術そのものは、その芸術の原動たる作者の日々の体験は、深く隠れてしまうことになる。ここに著しい矛盾は、たとえば一人の真面目な暮らし方[#「暮らし方」に傍点]をしている作家があるとする。その人は心のある深い煩悶《はんもん》から作ができなかったとする。このときにはその人は他ののべつ[#「のべつ」に傍点]に作を発表している作家より、はるかに切な、深い生き方をしているのに、文壇的には何の勲《てがら》もなかったことになる。文壇は書いた人のことはいっても書
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