そこに宗教の微妙な問題が始まるのである。性欲はいかに避くべからざる生理的要求であってもあくまでも悪しきものである。恋するものは、その恋を尊ぶほどこの悪しき要求を斥くべきである。ある人はいうであろう。かく性欲を無視してはわれらの恋愛の要求は飽和することができないと。しかし私は性欲とは全然質を異にせる性のねがいがあるのではないかと思う。生物学的の根拠より発せずして前にも述べしごとく、「神初め人を男と女とに造りたまい」しゆえに生ずる、人間の型の完成の要求より発する性のねがいがあるのではあるまいか。しこうして恋の中の涙と感謝とはおそらくこのねがいから生ずるのではあるまいか。性欲から涙と感謝とが生ずるとは信ぜられない(肉交を経験するまでは私はそれを信じていたが)。われらの魂が深く清められ、天使的願望にみたされてゆくに従って、性欲はしだいに魂から退き体の交わりはなくとも、性の要求の飽和が感じられるようになってゆくことはあり得ぬことではなかろう。(私はあの古風なキリスト教の聖別《きよめ》という宗教的経験を注意せざるを得ない)。創世記《そうせいき》によるもアダムとイブは楽園にいる間は体の交わりをしてい
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