恋に落ちるならば、まことにふさわしき運命というべきである。かかる場合にも真実なる恋は成り得る。かかる青年が処女と相恋するならば、そはまことに傷《いた》ましい、むしろ恐ろしい運命である。しかしかかる場合にも真実なる恋は成り得る。しかし私はこの二つの場合とも、宗教を持ちきたらずしては、調和する意識に達することができない。ここで私は「地上の男女」ということを考えずにはいられなくなる。すなわち神の前に罪にさだめられたる男女を並べて立たせる――跪《ひざまず》かせることを! 厳密にいえば、いかに純潔なる男女も、すでに物心のつきたる以上は、心のうちに醜き死骸の堆積を持っているのである。「おお神様。私たちは汚れています。許してください。これからも汚れそうです。守ってください。身を清く保ち得るように力を与えてください」と祈る心持ちでのみ、恋する立場を与えらるるのである。恋の本質はけっして性欲ではない。しかし人間の恋には必ず性欲が混じて働く。そは何ゆえであるか。私には解らない。おそらく光には必ず影を伴わせ、善には必ず悪を絡《から》ませ、天の使の来たるところには必ずまた悪魔をもともに来たらしむる造物主の特殊
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