リチェに対する恋を思う。ダンテにとっては彼女はあらゆる徳の華であった。善の君であった。彼は恋のなかに善のイデアを見た。その恋は、天なるものの俤への憧憬と分かつことはできなかった。ミケランジェロのヴィクトリア・コロンナに対する恋のごとく、またあのペラダンの戯曲化したクララのフランシスに対する恋のごとく、純なる恋はわれらの「善くなろうとする祈り」と分かつことのできないものである。私はゲーテの「永遠の女性」といった心持ちを思う。またホウガッツァロの『聖者』のなかに描かれたる老牧師と少女との恋を思う。マグダラのマリアが耶蘇に対する心持ちを思う。またかの中世期に聖い、燃ゆるがごとき、けれど静かなる情熱となってあらわれた「聖母崇拝《マリエンクルスト》」の心持ちを思う。またかの観世音菩薩の男性のごとく、また女性のごとき円満にして美しき像を思い浮かべずにはいられない。かかる像に礼拝する心持ちと恋の本質をなせる心持ちとは酷似している。純なる恋の気持ちはじつに祈りの気持ちに近い。私のかかる思想はある人々にはおそらく愚かにまた空しく見えるであろう。しかし恋の涙と感謝とを体験したる人はたやすく肯くことができる
前へ 次へ
全394ページ中320ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング