は恋は人間の原型を完成せんとする願いではあるまいかと思う。すなわち、造物主の胸の奥に人間の原型があって、地上の男女は各々それ自身では欠けたるものであり、その両性を渾融して、男性でもなく、女性でもなく、しかしけっして中性ではないところの一種の性を備えたる人間、すなわち原型としての人間(かかる人間が完全なる円相を備えたるものである)たらんと願うのではあるまいか。ある人々は全然性の差別を超越して、ただ人間としての人間になるように努力すべきであるというけれども、私はいま少しく深く考えたい。人間はすでに人間である以上、必ず男か女かである。その魂の本質まで性の差別がある。その差別は変ずることはできず、変じる必要はなく、また変じてはならないものである。その差別から性欲でない、性の願い――恋が生ずるのではあるまいか。「神初め人を男と女とに造りたまい」しゆえに生ずる恋がありはせぬか。万有の持っている差別相は一点一画といえども否定してはならない。かくするは造物主の意匠に侵入する冒涜だからである。恋のなかには一種の当為《ゾルレン》の意識がある。その意識は一種の道徳的意識といってもいい。私はかのダンテのベアト
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