物との接触である、その相は生物と生物との共食いの相と同じ系統に属している。しこうして肉交の最も嫌悪すべきは、この恐るべき相を愛の絶対境と混同しあるいはみずから欺くところにある。愛の絶対境は犠牲であって肉交ではない。肉交はエゴイズムの絶対境である。ある人はいうであろう、すべての肉交がそうではない、強姦や買春の場合はそうであっても、相愛の人の肉交は愛のエクスタシイであると。しかしたとい相愛の人といえども肉交するときはけっして相手を愛してはいない。以上の提言は相愛の人の肉交についてなしたのである。ここに二人のあいびきしたときの場景を想像してみよ。二人は純粋に愛している間は性欲は起こらない。涙と感謝とである。けれどもその愛の少し弛んだとき他の全く異なれる要求がはたらき始める。そのとき愛と性欲とが混じてはたらく。したがってその愛は不純になる。そしてしだいに性欲がプレドミネートするに従って愛は退く。そしてついに性欲が勝をしめる。そして肉交になる。そしてクライマックスになる。そのときは全く愛はない。相手の運命などを考えてはいない。自己の興味――いな自己も与らざる自然力の興味に溺れている。私は不愉快を
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