現が肉交にはならない。あるいはその肉体的表現としては抱擁して泣くかもしれない。あるいは互いに充実して沈黙するかもしれない。その他のいかなる表現をとることもあろう。しかし肉交にはならない。肉交は愛の要求からは起こらずに、他の全く異なる要求すなわち性欲から起こる。肉交はその要求の象徴である。愛とは何の本質的関係もない。肉交の要求が生ずるときは愛の弛んでいるときである。二人が真に愛しているときは感謝と涙とにはなるが肉交にはならない。そして肉交しているときは二人は少しも愛していない。肉交の頂点にあるときは二人は全くなんの関係もなく互いを忘れている。この状態は心と心との抱擁を証していると誤まられる。そこに根本的の錯誤がある。
 第三、肉交のエクスタシイは愛のエクスタシイではない、肉交はけっして霊肉の法悦ではなく、キリスト教的にいわば肉のみの楽欲である。霊は与《あずか》っていない。そのエクスタシイは男女が互いに相手の運命を忘却して自己の興味に溺れたるときに起こる。相手の運命と自己の運命とが触れるのではなく対手《あいて》を「物」とし「財」として生じたるエクスタシイである。心と心との接触ではなく、心と
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