「徳」の中に成長を止める。しかし皮肉になりたくてもならぬとき、あくまでも真直に濡れて悲しんで人生を見る人はぐっと進んで行く。皮肉はなんら積極的意義のない自殺的情緒である。耶蘇は人間の醜さや、偽善を知り抜いていた。けれど彼はそれに対して皮肉にはならなかった。ただそれを悲しみ、人間の「徳」を完成せしむべき道を工夫しようと努めた。他人に対してことにみずからに対して皮肉になってはならない。私は自分の醜さを平気で何の痛ましげもなく告白する人は真面目な告白者とは思えない。トルストイもコンフェッションを書くまでには幾度も躊躇した。みずからに対して皮肉になることは最も性質の悪いいわゆる Unpardonable sin ともいうべきものである。私はかかる問題を考えるとき、ある一つの深き宗教的罪悪というごときものの観念に導かれる。そして人間の運命には人間の私有物ではなく仏の分身なるがゆえに自己の生命に対する義務意識があるのではあるまいかというごときことが考えらるる。自殺したり、自己を呪《のろ》うたりすることはあるおのれならぬものを犯すのではあるまいか。私は皮肉を最も嫌うものである。私の尊ぶトルストイやド
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