てることは傲慢ではないと思う。いかなる人もいと高く遠きところに向かって願いを立てねばならない。けれど願いは大きいだけ畏《おそ》ろしい。法蔵比丘《ほうぞうびく》の超世の願いは思えば想うほど畏ろしい。その願いを遂げるための水火の中での数えきれないほどのあの苦行を思うときに。今や善き人の仰せを承《うけたまわ》って十字架を負わずしてこの大願を成就する不思議なる道を示されたとはいえ、われらが真にその道の上に立ちその道を安定して歩むことを得るに至るまでには、われらの前に横たわってわれらの歩を阻む蹉《つまず》きの石が多いことを感ずる。それらの石は外部の誘惑においてよりもわれらの内面、われらの思索、その思索を動かすわれらの|考え方《デンケンスワイゼ》そのものの中に置かれたるものが最も危険である。それらのあるものはわれらの注視によってのみはじめてその所在を発見し得るほどに見いだしがたく潜んでいる。すなわちわれらの思索を彼岸に通ずる本道より誘うて、まことしやかにそれを輪廻《りんね》に「迷行する外道《げどう》に」導くものがある。いま私は私自身の内面を検査してそれらの外道を発見し、わが道を直くし、わが歩を健《
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