すこ》やかにすることを企てたいと思う。
一 調和の信仰について
私らは世界に生きている。そして生きているがゆえに、ただそれのみでわれらの生は善きものである。世界は調和したものでなければならぬと信じなければならない。われらは心を空しゅうしてわれらの生命を内観し、この世界の真景を熟視しなければならない。そのとき正直に、一毫《いちごう》も回避せず、悪は悪として見ることを恐れてはいけない。世界はいかに悪と不調和とに満ちていることよ。何人もそれを認めないことはできない。しかしながらこのとき生命を厭い、世界を呪うは外道である。本道はこの見ゆるところの悪と不調和との奥に、善と調和とを求むるところにある。堪えがたき悲哀と無常とのなかにあって、しかも生を呪わないところにある。多くの厭世観はそれが厭世観であるゆえのみに誤れるものといってよい。そのためには私は世界をこの現われたる世界のみに限ることができなくなってもいい。死後の生命を立てなければならなくなってもいい(実際にオーソドックスの宗教はそれをなしている)。われらの生命がよく、世界は調和したものであることを信ずるまではわれらの思索は停止
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