心が濡《ぬ》れ輝いているときには、同胞に向かって呼びかけたくなるものである。しかし自分には同胞の運命を直くするほどの実力があるのではない。触《ふ》るるところのものを幸福にするだけの器量があるのでもない。しかし黙って祈ってのみいるには堪えられない。しからばどうすれば善《よ》いのであろうか。私は考え悶えた。自分のうちに円熟するまで働きかけるのを待つならば、いつまで待ってもそのような時期が来べしとは思われない。ついに「いまだ画かざる画家」となり、「いまだ説かざる説教者」として終わらなくてはならなくなりそうである。なんとなれば真理といい、力というものは一時にその絶頂に達し得られるものではなく、その内容を少しずつ体験しながら、しだいに aneignen してゆくものであるらしいからである。かくのごとくしてついに同胞とその苦しみや、喜びを分け持つことなしにみずからの切り離された生活のうちに蟄居《ちっきょ》するのが知恵ある生活であろうか。また祈りの心持ちのなかには深い実践的な気持ちが含まれている。祈りとはむしろ実行精神の最深なるものである。「愛児の病気のなおれかし」との祈り、よもすがら病児の枕頭に侍
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