成しているものである。その願いが外に道を求めることができなくては人間の生活の材料がなくなる。人間はみずから気がつかなくとも、じつは大部分愛で生きている。他人を内容として生きている。その接触がなくなれば死のごとき空虚が残るのみである。それでは生きている空がなくなる。私はいかにしても孤独というものは、究極のものとは思われない。もっと博いヒューメンな人間性の願いの許される生活が本道でなければなるまい。それに達しないのはどこかに思索に深まり方が足りないからであろうと思われた。とはいえ働きかけることは畏ろしいことである。私はその中間でうろうろしていた。そして魘《うな》されるような晦滞《かいたい》の感に責められていた。その間にも文化は日に混乱のなかに陥り、ことに道徳的な世界は紛糾を極めて、稀《まれ》なエゴイスチッシュな時代はますますその度を高めてゆく。モーラリッシュな素質あるものは、ものをいいたき心を挑《いど》まるるようなことのみ起こってゆく。今日は沈黙することのじつに苦しい時代である。じっと見ていると咽喉《のど》もとまで言葉がこみ上げてくるような気がする。ことに自分がさまざまの不幸に遭《あ》って
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