つけずしては至難の業である。愛はどうしても念仏に深まらねばならなくなる。私は祈りの心をしみじみと感じた。私たちは真に愛するならば、隠れて祈るよりほかに道はない。すでに働きかければ他人を損じるのである。ここになって私は初めて真の隠遁の根拠を見いだしたような気がした。「おまえさんみたような人らとは」というのでなく「私みたようなものは」と感じて退くのである。「求める気はありません」というのでなく「与えることができないのみか、傷つけますから」とて隠れるのである。隠れても他人の祝福を祈るのである。そこにはもはや高慢とエゴイズムとの影はない。私は昔から聖者たちの隠遁は、かかる種類の隠遁であって、私の前にしたごときエゴイスチッシュな退隠とは全く異なっていたのであろうと察せられる。ここまできて私は永くためろうていた。このような隠遁はその心持ちはしみじみと解るけれど、どうも私の素質のムードとしっくり[#「しっくり」に傍点]合わないのである。私の心の内に天与の人懐しさがある。他人と何ものかを分け持ちたき願いがある。他の生命と触れたい心がある。その願いはどうしても悪いものとは思えない。いな人間性の主要な部を
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