の小さきものを蹉《つまず》かすよりは、石臼《いしうす》を頸《くび》に懸けて、海に沈めらるる方むしろ安かるべし」と聖書には録されてある。私は苦しくなった。私は愛すことと、その愛を働きかけることとの間に峻しい障害を感じだした。私はある人が「あなたは善い人間だが、ただちに人の懐《ふところ》の内に飛び込んで中を見ようとするから、本能的に心の扉を閉じたくなる」といったのを思い出した。またある女が「他人がアクセプトしないのに愛したがるからいけない」といったのを思い出した。私はますます解らなくなった。私は考え出すとほとんど手も足も出ないほど不自由を極《きわ》めてくるのを感じた。そのとき私は親鸞聖人の心持ちがしみじみと仰がれる心地がした。聖道の慈悲では「心のままに助けとぐることありがたき」ゆえに「この慈悲|始終《しじゅう》なし」と見て取って「いそぎ仏となりて心のままに助けとぐるべし」と浄土の慈悲に入られたのである。「念仏申すこそ誠《まこと》に末通りたる慈悲にてや候ふべき」というのはじつに深い心持ちである。心の内で愛すことはできても(それもおぼつかないのであるが)その愛を働きかけることは、他人の運命を傷
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