して、身も心も疲れた母の心に起こる切願である。黙祷に対して「体祷」というようなものが真の祈りである。また隠遁しても、絶対的に他人に荷を負わすことなしに生きることはできないのである。むしろ他人の喜捨のみで生きるのが真の聖人の生活であるらしく思われる。かく考えてくれば私はどうしてもここで地上の約束、モータルとしての人間のさだめ[#「さだめ」に傍点]に触れずにはいられない。すなわち互いに傷つけずには生きられないのである。宗教心とはこの恐るべきさだめの内にかえって造り主の愛を見いだす心をいうのであろう。そこで私は考えた。私は高い処にみずからを置いて説教しようと思うから、発言することができないのである。人々と与《とも》に歩め。与《とも》に真理を研《きわ》め、与《とも》に徳を積め。「共存者よ、私はかく感ずる。御身はいかに考えるか。善いところがあれば用いてくれ。誤ってるところは教えてくれ。私を愛してくれ。私は御身を祝する」とこういう態度で話しかけたらどうであろう。それでも他人を傷つけないと保証することはもとよりできない。おそらく傷つけもするであろう。そして自分も傷つけられもするであろう。しかし絶対的
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