゚や過失の報いが深い因を成している。アダムとイブの過失から人類の運命が狂い出したという聖書の原罪の思想には深いグルンドがある。私たちは過失を恐れなくてはならない。けれども最も恐ろしいのはその過失がみずから気のつかぬような深所に、しかも道徳的な仮面を被って、自分の反省の届かない域に潜んでいるときである。それを見いだすのは知恵の深さに待たねばならない。聖人とはかかる知恵の深い人のことであろう。昔から悪魔が聖者を試みたときにはかかる一見道徳的に狡《ずる》い方法を用いているのでもわかる。私らはみずから気のつかぬのみか、善と信じてしたことが、知恵の足りないために、かえって他人を傷つける結果となることが多い。かかる過失は心の純なイデアリストがかえってしばしば犯すものである。そして最も深い過失である。私らは何ゆえにかく過失にみちているのであろうか? この問題を考え詰めるとき、深い問題の場合にはいつでもそうであるごとく、ここでも私らは永遠な、宗教的意識のなかには入り込む。思うに私らはナイーブなままでは善くあることはできないらしい。私らの享《う》けたる「生」のなかには、すでに「善」の芽と「悪」の芽とが混
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