けている。それは償われなければならない。私は恕《ゆる》してくれよといいたい。しかし地上の禍悪はおもに人間の過失から生ずるのである。いったんの過失が永い悲哀を遺《のこ》すのである。人間はやはりみな本来は神の子であるらしい。がただ悪魔に魅入られている。みずから企《たくら》んで他人を傷つけるような悪人はそういるものではない。しかし地上の約束を知らない無知を悪魔に乗ぜられるのである。そして自他の運命を傷つけるのである。善良な人間の犯す罪はほとんど過失といってもよい。過失だからとて責任を免れることはできない。現に自分の前に自分のために傷ついた人がいるとき過失だからとてみずからを責めずにいられようか? あわれな子守が愛している幼児を負うて溝に転んだ。子供は片輪になった。大きくなってもお嫁にもゆかれない。その報いはいつまでも続く。たといその児は恕《ゆる》してくれても、子守の心は一生傷つくであろう。それに恐ろしいことには一人の運命が狂い出すと、その周囲の人々の運命が共に狂い出す。罪は罪を孕《はら》み、不幸は不幸の因となる。私は仏教の「業」という思想を深いものと思う。私らの不幸なのも、祖先が積み重ねた
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