sおそ》れる心を持っているとは信じない。それらの人々には私の用意はよけいな心遣いとも見えよう。しかし私には師の慈悲深き渋面が見ゆるような気がする。私の心の奥に君臨する裁き主の前に uneasy な気がする。それゆえ私は半ば人に半ば自分に弁疏しなくては気になるのである。
四、五年前まで私は何の苦も無く他人に話しかけ、働きかけた。そしてその胆気と自由とをみずから誇っていた。けれど私は厳しき試練に遇ってその無知を罰せられた。人をも身をも損《そこな》い傷つけた。私はそのときから畏れる心を知った。他人の運命を傷つけてはならない。われとわが聖霊を鬱《うっ》してはならないと。「私は生きている。私の周囲には他の人間や動物や草木が生きている。私らは同じ太陽の下にともに生き[#「ともに生き」に傍点]ている。私は彼らに愛を感ずる。彼らに触れたい、話したい、働きかけたい。かくすることはすべての生けるものの純な願いで、そして善いことである」
私はかつてかく考えた。私はこの信念にジャスチファイされて勇ましくかつ公けに他人に働きかけた。他の生命に触れ、揺すり、撼《うごか》し、抱き、一つに融けようとして喘《あえ》
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