A一点の汚みにも恥じて死ぬほど純潔なものである。モンナが夫に貞操を疑われたときに、「私の目を見てください」というところがあるが、私はかしこを読むときにじつに純潔な感じがした。裁かぬというのは尊い徳である。しかしこれと似てしかも最も嫌なのはズボラ(indulgence)である。好人物という感じを与える人にはこのズボラが多い。アンナ・カレニナのなかのオブロンスキーのような人がそれである。オブロンスキーは好人物である。誰も憎む気にはなれない。しかしその妻の心はどれほど傷つくかしれない。かような人は悪意なくしてじつに最も他人の運命を損じるエゴイスティックな生き方をしているのである。ゲレヒチッヒカイトの盛んな人は裁く心も強い。そして鋭いという感じを他人に与える。裁くのはもとより悪い、その鋭さは天に属するものではない。しかしズボラよりはるかにましである。なんとなればその鋭さは真の赦しの徳を得た人には深いレリジャスなものとなるけれど、ズボラは真の赦しの心と一見似てじつは最も遠いものだからである。およそ宗教には二つの要素が欠けてはならない。一はいかなる微細な罪をも見遁さず裁くこと、一はいかなる極悪をも
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