рヘ私の側に私の魂の愛する力が働きかけうる人を持たないときは不幸を感じます。私は愛したい、そして求むるものには私の持っているよき物を惜しまずに与えようと、常に用意しているのに、誰も一人として、私に求め訴えに来るものがありません。聖書のなかにも「童子|街《まち》に立ちて笛吹けども、人躍らず、悲歌すれども人和せず」と書いてあります。これは私にとってどんなに淋しいことであったでしょう。私は歩けないのですから他の室に友を求めることはできません。
そして十数人もいる若い看護婦たちはなんという冷淡な、proffesional な人々でしょう。私はときどきに泣きたいような気がしました。三度も手術を受けて、そしてまだいつ療《なお》る見込みもつかない。私は怺《こら》えるには怺えます。けれども悲しいのはかなしい。
私はドストエフスキー(私がよく話すあのロシアの小説家)の『死人の家』など読んでは心からこの不幸な人の淋しい孤独な生活に共鳴して、自分も泣いていました。
そのときあなたが天の使のように私のベッドの側に来てくれました。あなたが後でおっしゃったように、私のいうことはあなたに吸い込まれるように、ス
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