ホならない。宗教はこの二つの性質を兼ね備えたものである。キリストはいかなる罪をも赦した。しかし罪の価は死なりといった。罪の裁判はできるかぎり重くなくてはならない。そしてその重き罪は全く赦されねばならない。甲が乙を撲《なぐ》ったとする。このとき、そのくらいのことは小さなことだとして赦してはならない。人間が人間を撲ることはけっして小さなことではない。それは地獄に当たる罪である。しかしその大罪を全的に赦すのである。阿部氏は「私は人を愛したい。けれど憎むに堪える心でありたい」といってる。私もしか感ずる。もし私が私を愛するがごとく他人を愛しているならば、私みずからを憎むがごとくに他人を憎み得るであろう。愛は闘いを含み得る。純粋なる愛の動機より、他人と闘うことができるようになるならば、その愛はよほど徹した内容を持っている。
 現に宗教的天才はかかる闘いをなしている。キリストも、エルサレムの宮で鳩《はと》を売るもののつくえを倒し、繩《なわ》の鞭を持って商人を追放した。私は初めは、キリストのこの行為を善しと見ることができなかった。それは愛と赦《ゆる》しとの教えに適《かな》わないと思われたからである。し
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