容《ゆる》したい。この信仰なくしては、私たちは相互に繋り合うことはできない。事実においては、人間はいかに懐疑的なる人といえども、ある範囲においてこの普遍性を容して、他人に対して働きかけているのである。著しくいわば、真に徹底せる愛は、真理をしいることである。マホメットが剣をもって信じさせようとした心持ちには、愛の或る真理が含まれている。日蓮も愛のために、親にそむき、師にそむき、異宗と闘った。彼は『法華経』を信じなければ、親も師もことごとく地獄に堕《お》つると信じたからである。私は聖書などの思想に養われて謙遜と赦《ゆる》しを学んでから、他人をあるがままにいれてその非を責めないようになりだした。初めは「私は愛がないのだから責める資格はない」と、自省して沈黙するようにしていたが、後には表面の交友を円滑にし、うるさい交渉を避ける自愛的な動機から、他人の軽薄、怠慢をも責めずに済ますようになりだした。かくなれば、他人に働きかけないことは一つの誘惑になる。愛するならば責めねばならない。それは赦《ゆる》さぬのとは違う。他人がいかなる悪事をなしても、それは赦さねばならない。しかしいかなる小さな罪も責めね
前へ
次へ
全394ページ中234ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング