サして何よりも愛の欠乏からきているのである。すなわち他人に働きかけようとせず、他人を受けいれようとしないかたくなな心が、その最大因をなしている。もし愛の深い、ヒューメンな心ならば、一方は、先きに述べしごとく、祈りとなるまでに謙遜になるとともに、一方は、おせっかいなほど働きかけたくなるであろう。人に働きかけたい心は善い、純なねがいである。この心が受け取りやすいモデストな心に出遭うときには、どんなになめらかな交わりになることだろう。自己を知らざるほしいままなる働きかける心は、他人を侵し傷つけるけれども、その心が祈りの心持ちによって深められるときには、もっとも望ましきはたらきをつくる。祈りの心持ちは、単に密室において神と交わる神秘的経験ではなく、その心持ちのなかには、切実な実行的意識が含まれている。いな、むしろ祈祷は実践的意識の醗酵、分泌した精のごときものである。今ここにある人の心に愛が訪れるとする。その愛がいまだ表象的なものに止まる間は、けっして祈りにはならない。しかし、その愛が他人の運命を実際に動かしたい意志となり、そしてその意志がそれに対抗する運命の威力を知り、しかもその運命に打ち克《
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