驕B助けてやりたい、あの女は間違っている、正しくしてやりたい。かくのごとき要求は、他人の生活に侵入してゆきがちな傾向を帯びるがゆえに、個人主義の主として支配している今の社会では、ことにしばしばおせっかい[#「せっかい」に傍点]として排斥せられる。このゆえに、世の賢き人々は、ただ自己の生活を乱されぬように守りつつ、他人の生活には、なるべく触れないように努める。そして自分の態度をジャスチファイして曰く、「個性は多様である、自己の思想をもって他人を律してはならない。また自分は他人に影響するだけの自信を持たない」と。この考え方はじつにもっともである。しかし、多くの場合、この思想は愛の欠けている人の口実のように私にはみえる。なんとなればもし、今の世の人と人との孤立が、真に愛より発する働きかけたい心がこの謙虚な思想に批判さるるところに原因を持ってるものならば、その孤立は、もっとしみじみしたものになるはずだからである。孤立というものは、愛が深くて、しかも謙遜な心と心との間においては、むしろ人と人とが繋り合うのに最もふさわしき要件である。今の世の人間同士の孤立は、一つはその掲ぐる口実と正反対に傲慢と、
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