「うものの力に触れてくる。そしてそこから知恵が生まれてきて、愛と知恵との密接な微妙な関係がしだいに体験せられてゆく。昔から聖者といわるるほどの人の愛は、みな運命に関する知恵によって深められ浄《きよ》められた愛である。耶蘇《ヤソ》の愛や釈迦《しゃか》の慈悲は、その最もよき典型である。愛がもし多くの人々のいわゆる愛のごとくに、他人との接触にインテレッセを置くものであるならば、そは甘く、たのしきものとして享楽せらるるであろう。アンナ・カレニナのなかのオブロンスキーが、「私は女を愛せずにはいられない」といったあのごとき愛や、女が「あなたは好きよ」というときの愛や、または普通の、百姓爺などを面倒くさがる男子が美しき女に対するときの愛などは、そのときの接触を味わう心であるがゆえに、運命や知恵や祈りとは何の関係もなしに済むであろう。けれど、もしも一人の少女をでも、私のいわゆる隣人の愛をもて愛してみよ。それはかぎりなき心配でなければならない。この少女の運命に自分があずからねばならない。自分のやり方でこの少女の運命はいかに傷つけられるかもしれない。いわんやときにはベギールデが働いたり、ミスチーヴァスな気
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