髣魂をして孤独を保たしめよ。隠れんと願うものをして自分の適する処にかくれしめよ。
隠遁はじつに霊魂の港、休憩所、祈祷《きとう》と勤行《ごんぎょう》の密室である。真の心の静けさと濡れたる愛とはその室にありて保たるるのである。
かの仏遺教経の遠離功徳分にあるごとく「寂静無為の安楽を求めんと欲す」る比丘《びく》は「当《まさ》に※[#「りっしんべん+貴」、第4水準2−12−70]閙《かいどう》を離れて独処に閑居《かんきょ》し」「当に己衆他衆を捨てて空間に独処し」なくてはならない。「若《も》し衆を楽《ねが》うものはすなわち衆の悩《なやみ》を受け譬《たと》えば大樹の衆鳥|之《こ》れに集ればすなわち枯折の患《わずらい》有るが如《ごと》く」また「世間に縛著《ばくちゃく》」せられて「譬えば老象の泥《どろ》に溺《おぼ》れて自ら出《い》ずる事|能《あた》わざるが如く」であろう。自分は「静処の人」となって「帝釈諸天《たいしゃくしょてん》の共に敬重する所」とならんことを希《ねが》うのである。
[#地から2字上げ](一九一五・一一)
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愛の二つの機能
愛は自全な心の働きであって、客観の
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