フ世界の持つ一つの evil と感ぜずにはいられない。そしていかにすればこのできごとを持つ世界をコスモスと感じ得るかを考える。いかに考えれば胸が静まるであろうか。蛙が蛇に食われることによって蛙も蛇も幸福であるような考え方はあるまいか。今のところ私はこのできごとはあるがままでは世界の一つの evil としか感ずることはできない。ある人は言う。宇宙は一匹の蛙を失うことによって損失はしない。それによってより大なる蛇が成長するならば神の栄えを現わすことができる。すなわち宇宙の運行のためになんらかの novelty を創造するための犠牲として、蛙の死も蛇の殺生も神への奉仕であると。人間もかくして初めて今日の文明をつくった。この思想を是認せんとする人々はかなり多いようである。けれど私はこの思想で満足することはできない。蛙がキリストのように世界のためにみずからを獻《ささ》げそれを認めて、そして蛙の死骸を蛇が食うのなら私は得心する。蛙にはなんら自主的犠牲の観念もなく、また蛇にはそれを受け取る用意もなくして、強きものと弱きものとの間に行なわるる殺生は、私には依然として evil である。結果として、より
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