黷ホよい。そして何の犠牲をも払っていないならば愛していると思ってもじつは愛してはいないのである。カントが苦しんでなされた行為のみ善であるといったごとくに愛を証《あかし》するものはただ犠牲である。「私には人類的愛がある」これはしばしば聞く言葉である。けれどその人は本当に愛しているのか。私にはアイテルな感じがせざるを得ない。その人は自分の手近の周囲の個々の人に対しては何の犠牲も払わずに心のままに振舞うている。自分の欲しいものは何一つ捨てない。そして人類という空想物に向かって愛をささげる。その愛は単なる表象である。実在として現われてくる個々の人々は面倒くさがり軽蔑する。そして人類という仮象に向かって自己興奮の甘い涙をこぼす。その人類はいやらしい顔も、卑しき声も持たぬ仮象である、その愛は単なる心持ちでなんの犠牲をも要求しない。もし手近にいる醜い女や、うるさい田舎爺を愛することができないならば、その人の叫ぶ人類的愛は空しいものである。一つの優れたる芸術、哲学を創造して寄与するのも愛の一つの成就である。しかし一人の隣人を面倒を忍んでねんごろに世話してやることはさらに愛のすぐれた成就である。人間の純
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