驍ノ至りしかを説明することができないごとくにまことに天来の恵みにも似たる認識ではないか。人間はみずからの醜き、あさましき相を認めた。そしてそのときから面を天へと向けた。けれど私らは認識するに至りて以来二元に苦しんでいる。自己を形成する要素が二つあることを感ずる。そしてその一つをば、それは私らの主なる部分を占め、それに従うことは容易さと甘さを持っているにもかかわらず、それを悪しと見る。そしてかのトルストイのごとくに二つのものの戦いを一生涯つづけることは自覚せるものの一生のさだめとなっている。霊と肉との衝突、これはいい古された言葉である。けれど真実にこの衝突を痛切に、はげしく、堪えがたきまでに煩わしく、またついに人間の不可避の運命と感ずるほどに不断に経験するようになるのはわれら近代の教養を受けたるものにおいては、多くは道徳的回転によって霊性が目醒めた後である。近代人は霊肉の一致のために努力していまだ成就しない。もし岩野氏のごとく物心の相対的存在を霊肉の一致と称するならば霊肉一致説は成立する。すなわち肉体をはなれて精神はない、一つの精神作用には必ず肉体的表現がある。外より見れば生殖器、内より
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