ー《アルト》に気がつくであろう。すなわち母子の愛と、男女の愛と、隣人の愛とが区別せられて感ぜられるようになるであろう。この差別の目に見ゆるようになるまでは愛のディレッタントである。いまだ愛を知ってるとはいえない。そしてこの区別の見ゆるようになるには人は多くは冷たい涙と苦い経験を味わうものである。愛の問題を真実に、自己の問題として生きる人は必ずこの区別が見ゆるようになるに違いない。そのときから後に真実の愛が生まれるのである。私は今は隣人の愛のみ真実の愛であると信じている。母子の愛と男女の愛とは愛と異なるのみならず、相そむくものである。それは愛ではなくてエゴイズムの系統に属するものである。多くの人はこれを混同している。そして自分のエゴイズムをジャスチファイし、わがままを振舞いながら、隣人の愛のみの受くべき冠にあずからんことを要求している。彼らは他人の運命を傷つけながら叫ぶであろう。私は愛している。善事をなしていると。けれども善《よ》き愛、天国の鍵となる愛はキリストが「汝の隣りを愛せよ」と言ったごとき、仏の衆生に対するがごとき隣人の愛のみである。真の愛は本能的愛のごとく甘きものではなくてそれ
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