、の内より道を開いて出たいと思う。私は何よりも私の認識が散漫にして雑駁なのに危惧の念に打たれる。このたびの経験より考うればどれほど誤謬多き見方をしているかしれないからである。私がもっと確実に、深刻にものをみることができるならばもっと安全な善い生活ができるであろう。私はもっとしっかり[#「しっかり」に傍点]した歩調で歩けるであろう。それには私の思索をもっとウィッセンシャフトリッヒにしなければならない。分析的にという意味ではない、材料の蒐集を豊富にし、その関係の観察を精緻にすることを指すのである。次に私は愛の種類について考えねばならない。私は本能的な愛とキリスト教的な愛とを混雑させていた。私は前者より後者に推移せねばならぬ。これが高価なる経験が私に与えた最も重大なる成果である。本能的愛は愛の純真なるものではない。囚縛されたるエゴイスチックなものである。真の愛は『善の研究』の著者が説くごとき認識的キリスト教的愛である。意識的努力的なる愛である。生物学的なる本能にあらずして、人間の創造的なる産物である。性愛も母の愛も認識する心の働きとは異なれる盲目的なるものである。
 私の恋を破った最大の敵は
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