ネる認識作用である。白墨の完全なる表象はただちに黒板の文字となるように、最純なる表象はただちに意志である。私は愛と認識との解脱的傾向を含む特殊なる心の働きなることを認め、しこうしてこれによりて暗示さるる精神生活の自由の境地に注意するものである。オイケンは「人間は自然に隷属す。されどそを知るがゆえに自由なり」といい、トルストイは“Where Love is, God is.”といった。私の思想はもとよりいまだ熟していないが、生物の本能と隷属を脱して神への転向を企つる意識的生活は愛と認識とをもって始めらるるであろう。
私はこれまで本能の中に自由を見いださんとする自然主義をもって生活の根本方針を建て、しこうしてそを最も確実なる生活法と思っていた。私の恋愛の崩れたのはその誤謬からであった。私の恋愛は甘きもの美しきものに対する憧憬ではなく「確実なもの」を捉えんとする要求であった。確実なる生活の根本基礎を女の本能的な愛の中に据えつけようとした。それが私の恋愛のヴェーゼンであった。女の美しいこと賢いことは初めから希《のぞ》まなかった。ただ一点愛において二人は確実に結合していると信じた。しかしながら
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