ヤの真の悲哀と精神的苦痛とは享楽できるものではない。ナザンスキーのよくも主張せし絶対的なる生の愛着は享楽主義を越えたる宗教的意識でなければならない。
「ああ私は血まみれの一本道を想像せざるを得ぬ。その上をいちもくさんに突進するのだ、力尽きればやむをえない。自滅するばかりだ」私は恋愛の論文を結んでかく言った。しかしながら今にして思えばそは不謹慎なる表現であった。私の自滅すべかりし時は来ている。私は戦うに怯懦《きょうだ》であり、また時機を失したとはどうしても思えない。私は戦い敗れた。外部からの強暴な敵(私は病気をも外部と感ずる)と戦ってデスペレートな私は、内部よりの敵(彼女の変心)に遭《あ》って根本的に敗れてしまった。すべての事情は矢のごとき速度で見るまに究極まで達した。その推移はじつに運命的な性質を帯びていた。私は私の愛そのものにそむかずしてはもはや毫釐《ごうり》の力もない。しからば私はなぜ自滅しないか。死が実感として目の前に来た私はまだ死ねない自分を明らかに認めた。それは本能的な死の恐怖に打ち克《か》たれるのだという人もあろう。失恋が絶対的の暗黒とならないからだという人もあろう。あるい
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