フをもって、ものの崩るる音、亡ぶ響きを内に聞きつつある私に、忍耐と支持との力を与うるものは、この生に事える義務の感情よりほかにはない。
 私はいささかの苦痛で済むような軽い恋はしなかったつもりである。毛の抜けた犬のようなミゼラブルな身を夜汽車に運ばれて須磨《すま》に着いて海岸を走る冷たい鉄路を見たときに、老父を兵庫駅に見送って帰りを黄色く無関心に続く砂浜に立って、とりとめない海の広がりを見たときに私は切に死を思った。それはついに死の表象にすぎなかったかもしれない。しからばあまりに実感にみちたる表象であった。私が須磨に来てから十日経たぬうちに二人の自殺者があった。一人は肺結核の癒《い》えがたきを嘆じての死であった。一人はまだ二十歳前後の青年であった。獣のように地べたに倒れた頭のそばにモルヒネの瓶《びん》が転がっていた。青ざめた顔、土色の唇から粘いガラス色の液を垂れてふっくふっく息を吐いていた。私は手を握ってみたらまだ温かであった。それを見た私の心は異様であった。私は死ぬまい。苦しければ、苦しいだけ死ぬまいと思った。私はこの青年の自殺を賞賛する心地にどうしてもなれなかった。いかなることある
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