A私と友との間にはどれほど友情の本質に関する寂寞と煩悶とが続いたことだろう。今もなおその踰《こ》えがたき溝渠《こうきょ》を思えば暗然とする。それは「三之助の手紙」のなかに詳しく書いたはずである。あなたのように人と人との接触に関して軽《かろ》い意識でいられればこそあんな楽天的なこともいえるのである。
何よりも校友に向かって感ずる私の第一の遺憾は生活意識の深刻でないことである。うやむやで生きてゆかれる人はしばらく措くにしても、いやしくも文芸家と道徳家とをもってみずから任ずる人に対しては私はいい分がある。文芸家には Morality が欠けている。単なる「歌うたい」や「詩造り」が多い。したがって「気分の芸術」はあっても「存在の芸術」はきわめて乏しい。あるいは遅るるを恐るるがごとくに読書し創作して余念のない人はある。けれども一生懸命生活してる人は乏しい。霊肉の資本《もとで》を払って、多大な犠牲を敢えてして、肉を耗《へ》らし、心を労して生活してる人はない。私は彼らに作品を提供するまえに、ただちに生活を提供せよと要請したい。それを思えば道徳家の実行的精神がどれほど尊いかしれない。けれども悲しいこ
前へ
次へ
全394ページ中157ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング