驍驍ニころ、そこに歓喜があり、悦楽があり、生命の熱と光と力とがある。この迷信の否定さるるところ、そこに悲哀があり、苦痛があり、ついには死があるばかりである。
私は恋愛を迷信する。この迷信とともに生きともに滅びたい。この迷信の滅びるとき私は自滅するほかはない。ああ迷信か死か。真に生きんとするものはこの両者の一を肯定することに怯懦《きょうだ》であってはならない。
私はただなぜとも知らず私がかくまで熱烈にまた単純に恋愛に没入し得る権利があると感ずるのである。私は私が恋愛の天才であることを自覚した。私には恋は一本道である。私はどこまでもこの一本道を離れずに進まなければならない。私は勇んで恋愛のために殉じたい。よしやそれが身の破滅であろうとも私はそれによって祝福さるるに相違ない。
恋は遊びでもなく楽しみでもない、生命のやみがたき要求であり、燃焼である。生命は宇宙の絶対の実在であり、恋愛は生命の最高の顕彰である。哲学と芸術と宗教とを打して一団となせる焔の迸発である。生命(霊と肉)と生命とが抱擁して絶対なる、原始なる、常住なる、自然なる実在の中に没入せんとする心である。神とならんとする意志であ
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