驕B
私らは恋愛というとき甘い快楽などは思わない。ただちに苦痛を連想する。宗教を連想する。難行苦行を思う。順礼を思う。凝りたる雪の上を踏む素足のままの日参を思う。丑《うし》の時参りの陰森なる灯の色を思う。さてはあの釣鐘にとぐろを捲きたる蛇の執着を思わずにはいられない。
恋愛の究極は宗教でなければならない。これ恋の最も高められたる状態である。私は私の身心の全部をあげて愛人に捧げた。私はどうなってもいい。ただ彼女のためになるような生活がしたいと思う。私はすべてのものを世に失うとも彼女さえ私のものであるならば、なお幸福を感ずることができるのである。私はけっして彼女に背かない。偽らない。彼女のためには喜んで死ぬことができる。私は彼女のために食を求め、衣を求め、敵を防ぎ、あの雌を率いるけだもののごとくに山を越え、谷を渉《わた》り、淋しき森影にともに棲《す》みたい。
私はほとんど自己の転換を意識した。私は恋人のなかに移植されたる私を見いだした。私は恋人のために一度自己を失い、ふたたび恋人のなかにおいて再生した。
私は彼女において私自身の鏡を得た。私の努力と憧憬と苦悩と功業とはみな彼女を透し
前へ
次へ
全394ページ中130ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング