v求に促され圧されて、思索するようになった。概念的に作りあげたる系統からどれほど力ある生活が得られよう。充実せる生活はその価値が内より直観できるものでなければならないと思い始めた。
このとき私の頭のなかには友と神と女とがこんがらがって回転していた。私は真面目に神のことを思った。乾いた草の上に衰弱した体躯《たいく》を投げ出して、青いあかるい空を仰ぎ見ながら一生懸命神のことを思った。けれども私にはどうしても神の愛というものを生き生きと感ずることができなかった。内在的な人格的な神の存在は西田氏のいうがごとき意味において私は信ぜざるを得なかった。けれどもそれは実在の原始の状態に付したる別名にすぎない。それはただ一つの現実であり、光景であり、ザインである。その独立自全なる存在においては愛なるものの存するはずはない。われらは愛によりて神に達することはできる。けれどもいかにして神の愛というものが生じ得るのであろうか。私には神の存在よりも神の愛というものが理解できなかった。『善の研究』を読んでもここがどうしても解らなかった。私は神なるものに働きかけることも働きかけらるることもできはしない。愛されてる
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