で生きるのも、そのままではけっして正しいかどうかまだ決まっていない。これからわれわれが祈って、考えて決めなければならない、未定問題であるということだけ注意したい。
一、モデル問題もまだけっして決まってはいない。自分に寛であってモデルの欠点にのみ鋭いのがいけないのはいうまでもない。しかしモデルの欠点を如実に書いても、そのままで正しいか、どうか。自分の友が窃盗をしたからといって、窃盗をしたといって公衆にふれて歩くのは正しいか。モデルにされた人の心が傷つき、周囲の平和が乱れても事実ならば書いてもいいか。芸術はかかることを超越し得るのか。私は芸術と道徳との間に種々の矛盾を感じざるを得ない。私は文壇がかかる問題を十分に関心することを希望する。
一、ストライキングなことを平気で書くのはいけない。もしある作家が二人の人間を殺せばすむところで、三人の人間を殺させるならば、その作家は一人の人間を気まぐれであるいは不注意で殺したのにも似た罪である。殺人や強姦やすべて人の心をドキドキさせることは、最小限度で書くことを用意すべきである。もししいて書くならば、それを書かざるを得なかった弁解が作品のリズムのなかになくてはならない。突っ込むとか、鋭いとか、力強いとかいうのは、そんな外面的なところにあるのではない。自分一個の理想をいえば、自分は芸術の極致は万有の間に在るハーモニー――静けさを描くにあると思っている。恐ろしいこと、酷《むご》たらしいこと、恥ずかしいこと、悲しいことを持ちながら、しかも調和した善い世界を描き得る(無理の感じなく)に至るところにあると思っている。仕事場にあっても、家庭にあっても、教会にあっても、絶えず心がいらいらする、レフュージを芸術に求むれば胸を刺し貫くようなことが何の痛ましげも、なだめるような調子もなく、むしろそれを喜ぶように書いてある。近代人は不幸である。
一、今の文士は一般に著しく好色である。成熟した男子に性欲のあるのはやむをえないことである。しかしこの悪しき欲望を(これについては自分は「地上の男女」という題で詳しく書いた)みずからに許してはならない。純粋という徳は芸術家にはことに望ましい。女に対してずるいのが今の文士を他の何よりも卑しく見せる。下品に見せる。私は孤独な純潔なニイチェを思う。あの『貴族の家』に出るみずからを雲井のひばりに比べ、野の百合《ゆり》にたとえた詩人を思う。麻のなかに高居した、毅然《きぜん》たる威厳を持っている芸術家はたいがい純潔な人のようである。争われぬものである。女にずるいのは男の常ではある。しかしそれに身を任せるのと誘惑として戦うのとは大した相違である。できるだけいろいろな種類の女を、できるかぎりたくさん味わうことを自分の快楽の標準のようにしている人が今の文壇にはきっと信じられぬほど多いであろう。そういう人々に対しては私は「報い」ということを考えてみよといいたい。私がこういうことをいっても、取り合われないかもしれないが、私は「報い」というものは本当にあるのではないかと思っている。私は初めは不幸に打ち砕かれたような心で妹に「私はよくよく前世に悪いことをしたのだろうよ」と冗談にいった。ところがだんだんそれが真面目に思われるようになった。私は今ではほとんど信じているといってもいい。病院にいま十九になる少年が大やけどをして、泣き叫んでいる。私は今日も見舞いに行って、その少年の母親の顔を見ているとき、やはりそう思った。何かの報いと考えるのがいちばん本当らしい。少なくとも、これまで私の聴いたいかなる説明より私には信じやすい。(私はけっして思わせぶりでいっているのではない)。いま一人の娘を犯して舌鼓《したつづみ》を打っても、その快楽を償うてあまりある苦痛をいつか本当に受けなくてはならなかったらどうだろう。酷い酷い肉体的苦痛を報いられたらどうだろう。(注射を一本して貰うのでも、どれだけ嫌なものか肉体的苦痛に感じやすい今の文士は知り抜いてるはずである)。あるいは清い清い良心を与えられて、その女に赦しを乞うても、どうしても赦すといってくれなかったらどうだろう。いかなる形式かは知らないが、私は悪には必ず報いがあると信じている。私のかかる思想はある人々には児戯に類するであろう。しかし私はけっしてそうは思えなくなっている。かかる問題に触れるとき心はいちばん緊張する。真偽はいつか解るだろう。もし本当だったらなんとするとだけ今はいっておく。(いま私の心はセンチメンタルではない。理知的な心持ちでここを書く)
一、言葉で突っ込まずに生活で突っ込むがいい。それも歓楽の方へでなく十字架を負う方面へ突っ込んで見せてくれ。何人がいざとなった場合、本当に思いきった態度に出で得るかは論争では解らない。私は論争好きな人に、かえって学校を
前へ
次へ
全99ページ中89ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング